2011/02/24
浪花組名古屋支店
この建築をご存知の方はいるだろうか。
愛知県名古屋市の私の実家から程近い住宅街にぽつんと建っている。
設計したのは村野藤吾/村野・森建築事務所。竣工は1976年である。
レンガ積みの外壁、注意深く配された開口部、絶妙なプロポーションがすばらしい。
浪花組というのは大阪に本社を置く左官工事の会社である。大阪本社、東京支店も村野さんの設計である。ぜひ一度機会をつくって内部も見学したいと思っている。
レンガの塀や鉄筋のフェンスまでも簡素なつくりでありながら、すべてにおいて品格が漂っている。
2011/02/23
ハムレーくんで生ハムづくり2011
奥村先生とまことさんが今年の生ハムを試食するというので、僕も少しいただいた。
昨年のと比較すると、薫煙の香りが強くなく、煙が肉の内部によく浸みこんでいるような気がする。
まことさん「昨年より今年の方が少し気温が低かったから出来がいいね。」
先生「煙は赤身よりも脂身によく浸み込むんだよ。」
...などなど意見が飛び交った。
来週あたり僕も時間を見つけてスライスしようと思っている。
2011/02/21
2011/02/19
ハムレーくんで生ハムづくり2011
2011/02/16
建築は生きている - 吉村順三建築のいま
2/6まで名古屋の橦木館で開催されていた企画展の特別冊子を入手した。
棲すみかの別冊とのことである。
吉村山荘「小さな森の家」、愛知県立芸術大学、八ヶ岳高原音楽堂、竹早山荘、南台の家(吉村自邸)の最新の写真が収録されていて興味深い。主に東海地方の書店で販売しているものだが、東京でもジュンク堂書店新宿店などで取り扱っているので吉村ファンは要チェックである。
実は昨年南台の家(吉村自邸)を見学する機会に恵まれた。
学生時代からずっとずっと憧れていた歴史的な名作住宅であるのはいうまでもない。作品集や図面集では繰り返し見飽きるほど見ているが、実物での空間体験はやはり想像を超えるものがあった。そのときの感想をちょっと書いておこうと思う。
写真の印象から、天井の低い、押さえの効いた空間をイメージしていたが、実際には思いのほか低い印象はなく、かといって高くもない。むしろ「丸い」と表現していいかどうか、やわらかい「ずんぐり」とした印象を感じた。それで思い出したのが、軽井沢の吉村山荘。あの家も実際の空間は「ずんぐり」としていた。やさしく、暖かく、やわらかい空気は共通したものがあると思う。この本の写真もそうだが、建築写真は広角で撮るとパースがついて、どうしても実物よりもきつく写ってしまうのかな。
そしてこの家は「真壁」の家であることに改めて気付かされた。しかし、なぜかスッキリしている。よく見ると柱の本数が少ないではないか。通常は構造的に一間ピッチに柱を入れないと壁としてはしっかりしないと思うのだが......と思って、帰って図面集で確認したところ、隠してちゃんと小さい柱が入っていた。見せたくなかったということか。
あとは池が大きかった。暖炉とソファとローテーブルも想像より一回り大きかった。それがみょうに空間全体に安心感を与えているような気がした。いろんな建築を見てきたが、名作といわれるものは想像より一回り小さいことが多かった。想像より大きくてそれが良かったという体験は初めてかもしれない。
以上が主な感想である。ちょっと感覚的なものになってしまった。空気式床暖房や、引込戸のディテール、洗濯物シューターなど他にもいっぱい発見があったが、この家の空気感を感じることができたのが何よりも貴重な経験だったと思う。
2011/02/15
ハムレーくんで生ハムづくり2011
先週末に薫煙は無事に終了。スライス・パック作業は1~2週間後におこなう予定である。
薫煙後まもない生ハムは少し酸味があるので、少し落ち着くまで冷蔵庫で寝かせる。
ハムレーくんはすでに第2ロットの薫煙がはじまっている。
2011/02/11
2011/02/08
ハムレーくんで生ハムづくり2011
朝の煙チェック。昨夜着火した4枚目が無事に終了している。5枚目に着火。
すでに終了しているトレイに再びおが屑をセッティングする。
ここでハムレーくんの歴史を簡単に振り返ってみます。
奥村先生とまことさんがはじめて生ハムに挑戦したのは1976年2月。上図のような平窯でした。図に描いてあるファン、サーモ、フィン、電球はなく、引きは煙突1mの自然上昇流のみ。おが屑ではなく荒削りの薪を使用。同年3月の第2回で煙突に引きの電球を入れ、平窯の途中にフィンを置き、水道水を庭の影を回して冷やし循環させていたという。1977年1月の第4回でファンとサーモを設置。1979年1月の第6回からおが屑を使用。1980年1月の第8回には塩ボーメ計を買って使い始める。1981年1月の第9回で炉の構造を変え、グラスウールを敷き、サーモとファンをやめ、電球の吸引力だけで酸素供給量を決めることにしている。
1982年から上図のような新型炉の設計に取り掛かる。
1984年3月の第14回から新型炉にて薫煙。
1984年5月の第16回冷却系が完成してスト運転、ここで現在のハムレーくんの姿が出来上がった。
2011/02/07
川口の家
川口の家の敷地は南北に22m弱、東西に10m弱という長細い敷地である。北側は6m道路に面し、東側は3階建てのマンション、西側は屋根付き駐車場がある。
南側は3階建ての戸建て住宅が並んでいるので、敷地の南半分はあまり日が差さずジメッとしていた。
この家の設計で一番気を配ったのは、「気配がわかる」ということ。
ご夫婦2人暮らしで、視力の弱いご主人と普段洋服直しの仕事をされている夫人が、直接見えなくとも常に気配が感じられるよう、仕事室を中2階にもっていくスキップフロアの構成とした。
設備的にはいつもどおり空気集熱式床暖房「ソーラーれん」を入れている。
RCの箱の上に木造の切妻屋根を架け、小屋裏にハンドリングボックスを設置。主に1階の寝室・洗面所の床下に蓄熱させているが、中2階の仕事室には小さいダクトで分岐して床下に少しだけ吹き出している。また2階の居間・食堂には立下りダクトに切替吹出口を設けて、手動ダンパーにより直接吹出せるようにしてある。
ハムレーくんで生ハムづくり2011
朝の煙チェック。ハムレーくんに近づくと、ほのかな薫煙の香りがする。煙突の先をよく見るとわずかに煙が見える。これが順調に薫煙が進んでいる状態である。
薫煙個内の温度は6℃。トレイは3枚目に入った。昨日は田部井くんがチェックする当番であった。一昨日から昨日までは順調にいっていたが、昨日の夜中に火が消えてしまって、今朝早くまことさんが気が付いて火を点けたとのこと。
薫煙が始まると、仕事中に数時間ごとに煙をチェックしに行くという日々が始まるのである。
2011/02/05
ハムレーくんで生ハムづくり2011
塩漬けが終わり、今日からいよいよ薫煙開始です。
奥村家の裏庭には2台のハムレーくんがあります。
左の1号機。小窓の上に奥村先生が描いたハムレーくんのキャラクターの金属ラベルがある。
試運転したところ冷却機の調子が悪く今回はお休み。
右の2号機は薫煙庫部分に外張りペフにより断熱を強化してある。こちらは小窓の下にハムレーくんのキャラクターがペフに直接刻み込まれている。今回はこちらを使って薫煙をおこなう。
薫煙用のおが屑の準備。左は薪、中央はローリエ、右はサクラのおが屑。
おが屑を入れて、ローリエをハサミで刻むととてもよい香りがする。ローリエは香り付けのために入れている。
つや出しのための砂糖を加え、混ぜ合わせる。
これで薫煙用のおが屑が完成。
トレイに着火用の紙を設置し、薪を敷いていく。
おが屑を敷いてトレイの準備はOK。1枚のトレイで12時間持つので、2枚で1日分。
左からモモ、ロース、バラ。肉は表面の水分をクッキングペーパーで丁寧に取り、ネットに入れる。
ハムレーくんに肉を吊り下げる。
着火!!
ところが間違えて上の段の予備トレイに着火してしてしまった。しばらくして気付いたからよかったものの、もう少しでハムレーくんが焼失してしまうところであった。
気を取り直して着火!!!
順調におが屑が燃え始めた。トレイの枚数を記録していくメモをピン止め。
今回は徳田4.5kg、 山本くん1kg、田部井くん2kg、まことさん10kgの計17.5kgを薫煙する。
トレイ10枚、順調にいけば5日間の薫煙が始まった。
着火記念パーティーとかこじつけて乾杯!!である。
2011/02/04
川口の家
仕事室から半階上がると、ボールト天井が見えてくる。
2階は居間・食堂・台所のワンルームの空間である。
床は唐松縁甲板15t、壁はPB12.5tAEP塗、天井はPB9.5tAEP塗。
掃き出し窓は戸袋に引き込めるようになっていて、ベランダの先のケヤキの大木と近い関係を作っている。ベランダから屋外階段を半階上がると屋上の畑に行ける。
台所からはFIX窓から畑の様子を見られるようになっている。
キッチンはフルオープンでカウンターには大理石のクレママーフィルを使用している。
背面にコンロ台を持っていき、建具により隠すことが出来るようにしてある。
不意の来客時には、コンロ台のほうに雑多なものを移動して建具を閉めてしまえば、台所ぽい雰囲気を消すことができて、居間の延長の空間に感じられる。
正面の壁面収納には食器棚の他に、エアコン、仏壇、ソーラーれんのダクトと切替吹出口が収納され、窓の横にはソーラーれんの制御盤、インターホンがあり、この家の心臓部ともいえる。
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