2011/03/29

Gyptian - Serious Times


2005年。Frenzレーベル。ジプシャンのデビュー曲である。
ジャマイカのシリアスな状況の中で前向きに生きていこうという曲。

(歌詞一部抜粋)
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シリアスなことがたまにあるんだ
オレらの廻りでは暴力や犯罪がおこってる
俺らの生活ではそういうことが、集中化したり、社会化したり現実化してるんだ。
太陽は毎日のぼる。
月の光は平和な夜にする。
7回のぼって、7回沈む。
太陽は沈むけど、オレはそんなことで沈んだりしない。
生きることは続いていくことにあるんだ
おまえは本当に真実を知りたい?その真実は語られてるよ。
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2011/03/24

Gappy Ranks - I Was There - Tribute To Japan

ロンドンを拠点に活動しているギャッピー・ランクス。
昨年リリースしたアルバム「Put The Stereo On」は、以前紹介したビティ・マクリーンと同様Peckingsレーベルのプロデュースでロックステディ音源を巧みに使った好盤でした。
そのギャッピーがジャパンツアーで3/11に来日。日本に着いて1時間ぐらいであの地震があったという。ツアーはほとんどキャンセルになってしまったが、その地震を受け日本滞在の間に震災支援の曲を制作した。

2011/03/23

卒園式


今日は娘の幼稚園の卒園式。
当初は時節柄照明をつけて体育館で式をおこなうことは問題が多いとの判断で園庭でおこなう予定だったが、思いのほか冷たい風の吹く日になり、体育館で最低限の照明のもとでおこなった。


教室には子供たちから先生へのメッセージが貼ってあった。

2011/03/18

Luciano - In this Together

仙台の建築工房 ぷろろーぐの佐藤さんと連絡が取れた。柴崎さんも職方さんたちも無事でよかったです。


1995年リリース。XTERMINATORレーベル。リディムはボブ・マーリー"No Woman No Cry"のリメイク。

ルチアーノが「人々は互いに助けあってひとつになって生きていかなくてはならない」と歌っています。
ガソリンとか食パンとかトイレットペーパーとか買い占めてる場合じゃないですね。

計画停電

私の居住地である埼玉県新座市は第1グループである。いつ停電になってもいいように準備万端であるが、いつも直前で回避されてしまい、まだ停電になっていない。みんな心の準備もできているので、停電にすればいいのにと思っている。

いつも通勤に使っている西武池袋線は3/14・15は池袋~練馬高野台間のみの運行だったが、その日は練馬高野台駅まで自転車で来るサラリーマンの方々を多く見た。みなさんそれほど困ったという感じではなく、たまには自転車通勤もいいかなという感じの人が多かったように見受けられた。

ところが、3/16からは本数が少ないながらも全線運行していたので、自転車通勤の人は全くいなくなり、以前に戻ってしまいました。

私は地震の日以来毎日、ちょっときついけど清瀬から中村橋まで自転車通勤を続けている。私一人電車に乗らないからといってたいして節電になっているとは思わないが、今は自分のできることはなるべくやっていきたいし、逆にこの機会に不便を楽しみたいと思っている。

お風呂に入るときに照明を消しても、給湯器のリモコンのバックライトが結構明るくて、これだけでいいじゃないっていう発見もあった。


自転車通勤の道中、石神井公園駅近くにこんな発電所があるのを発見した。

2011/03/16

国土地理院の災害地の空中写真

住まいネット新聞「びお」の「こんな筈では!」という記事に、国土地理院による災害地の空中写真(http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-ok/photo/photo_dj/index.html)のリンクが貼られていたので見てみたところ、すごくよく分かる写真でした。


写真中央のソーラーれんの集熱ガラスが載っている小さな切妻屋根の家が「仙台の家」です。
家の内部の被害はわかりませんが、 かたちとしてはちゃんと残っているようでほっとしました。

他にも日本基督教団東北教区センター エマオや伊藤工務店社屋も屋根だけですが残っているのが確認できました。

いわき市は空中写真がなくアクアマリンふくしまは見れませんでした。

2011/03/15

常陸太田の家

茨城県の地震の被害はどうだったのだろうかと、常陸太田の家の住まい手のNさんに連絡を取ってみました。
常陸太田市は震度6弱でしたが、設計したお宅には大きな被害は無く、Nさんもお元気でホッとしました。食器や花瓶なども運よく助かったようでした。ただし、昨日まで停電でロウソクで暮らしていたのと、近所の瓦屋根の古い民家は被害があったとのことでした。
この家に関しては、近日中にこのブログで紹介したいと考えています。


常陸太田の家(2008年)
設計:N設計室+徳田英和設計事務所
施工:新建工舎設計
掲載紙:住宅建築2009年8月号

2011/03/14

アクアマリンふくしま

今回の地震の被害が出ている地域で、もう一つ私が設計に関わったものがありました。
ただし、私の担当した部分は仮設建築なのですでに昨年撤去されているのですが、一連の仕事に関わった関係で他人事には思えません。

福島県いわき市小名浜港の水族館「アクアマリンふくしま」です。
この水族館は建築設計が日本設計、ランドスケープはプランタゴ・田瀬さんの設計により、2000年にオープンしました。

シーラカンス調査において画期的な成果を収めたことも有名ですが、他の水族館で催されているイルカショー的なものを排除して、全国に先駆けて「タッチプール」を設置、ヒトデやナマコを触れることのできる画期的な水族館です。

2006年、その「タッチプール」を推進してきた飼育員の古川健さんが中心となり、水族館に併設する屋外巨大タッチプール「蛇の目ビーチ」をプランタゴ・田瀬さんが再び手掛けることになりました。その付属施設として、コンテナを利用した仮設の倉庫と便所を私が設計することになりました。


2007年に「蛇の目ビーチ」はオープン。
このコンテナ部分の場所には当初から子供体感館「アクアマリンえっぐ」の建設が予定されており、2010年4月に完成オープン。私が設計したコンテナは当初2年の予定でしたが、工事の遅れで3年使っていただき、使命を終えて撤去されました。
上の写真は2008年夏に子供を連れて遊びに行ったときのものです。子供たちはキャーキャーいいながらビーチの貝や魚と触れ合っていて大盛況でした。

このプロジェクトはTBSテレビ「夢の扉」で2007年5月に「日本初の野外体験型水族館を通して、自然の大切さを子供たちに伝えたい」と題して二週にわたり紹介されました。




そして地震の話に戻りますが、YouTubeで検索してこの映像を発見。前半は「いわき・ら・ら・ミュウ」で、後半が「アクアマリンふくしま」です。建築そのものは被害が少なそうですが、ランドスケープと「蛇の目ビーチ」は壊滅状態のようで悲しいです。
古川さんはじめアクアマリンのスタッフの方々など人的な被害がないことを祈るばかりです。

2011/03/12

東北地方太平洋沖地震

今回の地震の被害が出ている地域で、私が設計に関わったものがあるので心配である。


仙台の家(2006年)
設計:永田昌民+OM研究所(徳田英和、臼田真由美)
施工:建築工房 ぷろろーぐ
掲載紙:住宅建築2010年8月号

この家は住まいネット新聞「びお」に永田昌民さんに設計してもらった 仙台に嫁いだ娘の家。として紹介されている。
お施主さんは人づてではあるが避難されていて無事が確認されてほっとしている。しかし建物の無事は確認できていない。また、建築工房 ぷろろーぐの方々にはまったく連絡が取れていないので心配である。

日本基督教団東北教区センター エマオ(2001年)
設計:石田信男+綜合設計機構
施工:伊藤工務店
掲載紙:建築設計資料100「OMソーラーの建築」

この建物は石田信男設計事務所在籍時に設計に参加したもので、私は造付家具とOMソーラー部分の設計を担当している。
オール・プレキャスト・コンクリートの構造は、この地震に対してどれほどの力を発揮しただろうか。
また、施工を担当した伊藤工務店のある塩釜はかなりの被害があるようなので心配である。
伊藤工務店の社屋も石田さんの設計であるが(私は関わっていない)、塩釜港の海の直前に位置していて、水没することを想定して1階は玄関のみRCで作り、2階に木造で伸びやかに作ったものだ。この建物も残ってくれていることを願っている。

東北地方太平洋沖地震

昨日はたまたま来客が多く、野沢さんや吉田亜人さんらが事務所に来ているときに地震がありました。奥村先生は「これまで生きてきてこんな大きな地震は初めてだ」というほどの揺れでした。私は隣の瓦屋根の平屋の家がすごく揺れているのを目の当たりにしました。東京23区は震度5強とのことですが、幸い我々の事務所はなんの被害もありませんでした。
電車が止まってしまい、みんなでテレビの報道を見守るしかありません。

しばらくは携帯電話がつながりませんでしたが、家族の無事を確認でき、私は自転車があるので無事に帰ることができました。中村橋から清瀬まで西武池袋線のほぼ線路沿いを走りましたが、歩いて帰る人の多さに驚きました。

帰宅すると義母が来ていました。 義母は編物教室で清瀬に来ていて帰りに清瀬駅で電車に乗る寸前のホームで地震があり、帰ることができなくなったので我が家に来ました。義母の家は池袋のマンションの10階なので、被害があるのではないかということで、昨日は我が家に泊まり、日が明けたら早々にみんなで池袋に行くことにしました。我が家に関しては被害はほとんどなく、ガラスのビンと鏡が割れた程度でした。

そして今朝、池袋のマンションに到着するとこんな状況でした。


被害の状況は中村橋の事務所や清瀬の自宅とは格段の差でした。10階なので揺れが相当増幅されていたようです。家中のものがぐちゃぐちゃで足の踏み場がありません。
特に台所の食器棚の被害が大きく、食器の3分の2が割れてしまいました。
もともと今日は雛人形を片付ける予定の日だったのですが、雛人形もぐちゃぐちゃになってしまいました。幸い人形自体壊れてはいませんでしたが、雛壇を支えるフレームがぐにゃりと曲がっていました。仏壇が台から落ちて角がじゅらく壁に刺さって穴が開いてしまいました。
ほぼ一日かかって片付け終わりました。


ベランダに出てみるとエアコンの室外機が傾いていました。
まわりを見渡すと隣のビルで屋上の物置が倒れていたり、 設備の排気口らしきものが傾いていたりしました。

2011/03/10

自由学園初等部

うちの娘は今度の4月から晴れて小学生になる。もちろん近所の公立小学校に入学する予定であるが、西武線で2駅という一応通学圏内に立地しているこの学校で、昨秋学校説明会があるというので建物見学が目的で参加してみた。遠藤新が設計した自由学園初等部である。

昭和5年完成のこの建築は東京都歴史的建造物に指定されている。都内には木造の小学校が3つあるが、他の2つは平成になってからのもので、都内で唯一の古い木造校舎の小学校なのである。


校内に一歩入ると松の木と瓦屋根が学校というよりはお寺の境内を思わせる。
学校の一番中心にあるのが食堂である。一つのテーブルで1年生から6年生までが一人づつの6人で食事を取る。食事は父兄が当番制で学校まで来て作っているとのこと。


一番最初に作られた第1校舎は1年生と2年生の教室である。ライトっぽい意匠は皆無で、シンプルな切妻の瓦屋根、真壁構造に左官壁、木製建具にスノコの濡れ縁があって居心地よさそうである。

現在は1学年定員40名の1クラスのみという構成だが、この学校の卒業生である奥村まことさんの話によると昔は26名だったようだ。「26名用に教室が設計してあるので今は窮屈な感じで使っている」というが、普通の公立の学校に比べてとてもゆったりしているように僕には見える。
濡れ縁もあるし、なんて贅沢な学校なんだろう。

2011/03/09

Spanner Banner - Love Will Save The Day


1996年リリース。Digital Bレーベル。
スパナー・バナーの少し鼻にかかった声と独特の歌いまわしは、一度はまるとくせになってしまうような気持ちよさがある。
Des'ree の「 You Gotta Be 」(1995年)のカバーであるが、こんな有名な曲であることも言われなければ気付かないくらい、スパナー・バナーはこの曲を自分のものにしてしまっている。
リディムはアーネスト・ウィルソン「 Undying Love 」(1968年)のリメイク。やはりスタジオ・ワン、コクソン・ドッドの手掛けた名作だ。

日比津の家2


1階に戻って、予備室。少したっぷりした濡れ縁とつながっている。
ご主人のこもり部屋として作ったが、用途はいろいろ使えるよう限定して作りこんでいない。
濡れ縁は物干スペースとして主に使われる。ご家族が花粉症なので、花粉の時期は室内に洗濯物が干せるように天井にアイプレートを付けて、Sカンで洗濯竿が架けられるようにしている。


水まわり。洗面所・便所の壁・天井は外部と同じく杉材の赤身を使用している。
洗面台はマーブライトカウンター、下部は引き出しを造り付けた。
窓の横に壁厚を利用して小棚を作った。写真に写っていないがガラスの棚板を入れて歯ブラシなど置けるようにしている。
背面の壁には大きなタオル掛けをデザインしてタモ材で 大工さんに作ってもらった。
浴室はご要望でユニットバスとしている。TOTOのサザナで壁はベージュ色、たっぷり浴槽を選んだ。価格も安くよくできている。

2011/03/08

Terry Linen - The Worlds Greatest


2002年リリース。Calibudレーベル。
この曲も名門スタジオ・ワンが生み出したロックステディの名曲、ザ・ヘプトーンズの「 We Are In The Mood 」(1968年)のオケをリメイクしたものに、R・ケリーの「 The Worlds Greatest 」(2001年)のカバーを乗っけたものである。
テリー・リネンは今は亡きガーネット・シルクの「絹のような肌ざわり」の声を継承するシンガーである。

日比津の家2


階段の上部に採光と風抜きのためにトップライトを設けた。VELUX製の電動開閉できるタイプで、遮光スクリーン付きである。


階段の天井はフラットに張ると高くなりすぎるので、段々をつけて少し下げてある。
手摺りは桧材を楕円に加工している。


子供室とワークスペースである。将来的に間仕切れるよう、鴨居と敷居を入れてある。
照明は高さを上下に調整できるものを使用している。


ワークスペースから広間を見下ろす。


主寝室は布団を干すためのベランダを設けている。
天井高は2.1mと押えてあるが、建具は天井いっぱいまでの高さとしているので、扉を引き込めば子供室まで空間が流れるようにつながり、低い印象はあまり感じない。

2011/03/07

日比津の家2


広間に半分開くかたちでキッチンを設けた。キッチンは天井高2.1mとして低く押さえ、上部は2階から使えるたっぷりとした小屋裏収納にしている。
下り壁に付いている2枚の板はエアコンの目隠し板である。ベッド用の金物を使って付けてあり、簡単に取外してエアコンのメンテナンスができるようになっている。



シンク台はステンレス・ヘアライン1.2mmでシンクと一体加工で作ってもらった。レンジ前の壁はイタリア製のテラゾータイル400角である。今は円高で国産タイルに比べて割安である。
ガスコンロの下は鍋用の引き出しを付け、その上部は鍋蓋置き場である。
その右の縦長の引き出しは調味料入れである。



広間同様デッキテラスに出る引き込みガラス框戸を設けている。小窓と同様、ロールスクリーンの生地を使った網戸も引き込まれている。
デッキテラスに出ると、駐車場への階段も近く、買い物やゴミ出しに便利である。
シンク台の反対側は配膳台と食器棚。一部が引き出しになっている。
右上の引き出し は炊飯器用で蒸気が逃げるようにしている。


シンク台の前に立つと家全体を見渡すことができる。



デッキテラスの床板、手摺り、戸袋の杉板は同じくフジイチの天竜杉を使用している。
これら雨掛かり部分には杉の赤身を無塗装で使用している。杉の赤身は耐久性があるといわれていて、桧より強いという人もいる。

戸袋につけたブラケット照明は船舶用の1号デッキライトを使用している。価格が安く、耐久性は建築用の照明器具に比べてはるかに高い。真鍮製で質感もあり、機能美があって昔から再三再度使用している。船舶照明はいろんなところで取り扱っているが、今回は現場に程近い松本船舶電機製作所から購入している。

2011/03/04

ひなまつり


昨日はひなまつりということで、娘が幼稚園で製作してきました。

2011/03/03

日比津の家2


広間は4.8m×5.1mで14.8帖ある。引渡し前に撮った写真なので家具が写っていないが、1500φのローテーブルを中心とした、床座の生活を想定している。


仕上げは、床は杉縁甲板張り、壁・天井はプラスターボードにペンキ塗りを基本としているが、すべて真っ白だと緊張感が出すぎてしまうので北面壁のみ杉縁甲板張りとしている。
杉縁甲板は天竜杉を使用している。「地球のたまご」で使って以来お付き合いしている浜松のフジイチに分離発注して支給している。
壁面収納の一部には小窓があり、玄関の様子がうかがえる。上部は子供室につながっていて手摺りはミシンやパソコンができるワークスペースの机になっている。


可動式の畳ユニットを大工さんに作ってもらった。季節に応じて五月人形を飾るなど床の間的にも使えるし、TVを観るときにちょっと寝転んだり、来客時のベッドにもなる。畳を持ち上げれば、内部は収納になっている。
また、床に座ったときに背もたれにできるよう、木枠は斜めにテーパーをつけた。


南面の開口部は木製の2本引きのガラス框戸で戸袋に引き込むとデッキテラスと一体につながる。
床から27cm上がっていてちょっと腰掛けられる。
内側には障子が入っていて、同じく壁に引き込むことができる。


小窓は内側にロールスクリーンの生地を使った網戸を設けた。内から外は見えるが、外から内はほとんど見えない。